【本】『真贋』吉本隆明著(講談社インターナショナル) 水を飲もう
もう十年以上前になりますが、読書に夢中になっていたころ、新刊情報を毎号チェックしていました。何年前かは忘れましたが、『真贋』というルポものの書籍が来月出版と数ヶ月にわたって掲載されていました。
いつになったら出るんや
と、毎号楽しみにしていた記憶があります。
結局、出たのか出なかったのかは記憶にありません。
先日、図書館で単行本の棚をうろうろしていたとき、『真贋』というタイトルが目に入りました。
出てたんや!
と、つい嬉しくなり迷わず借りました。
家に帰り、どんだけ苦労した本なんやろ、おもろなかったら怒るでしかし、と横山になった気分で表紙を見ると
吉本隆明
思想界の巨人と呼ばれている人じゃないですか。タイトルが同じなだけで、出版が延びていた『真贋』とは別のでした。
恥ずかしながら、娘さんの本は読んだことがありますが、吉本隆明ご本人の本は読んだことがありません。名声を知っているだけで、理屈っぽい人なんだろうなというイメージです。なので敬遠していましたというか、読んでみようとも思いませんでした。
そういう訳で、勘違いが元とはいえ、初めての吉本隆明です。
理屈が捏ねられ途中で嫌になるかなと思いきや、平易な語り口で流れるように読めました。それもそのはず、吉本隆明へのインタビューから起こされた書籍のようです。口述なので読みやすくて当たり前です。
書かれている内容も特に違和感なく入ってきます。もちろん、そうじゃないだろうと思う方もおられましょうが、私は受け入れられました。すんなりと入ってくるのです。
でも、その水を飲むような感じでもあるので味がしません。食った! という満足感がありません。血糖値が上がらないのです。身体に悪い訳では無いのですがなんだか物足りない。引っ掛かりがないので印象が残らないのです。
メモを取っておいたのでが、後で読み返してみて、なんの話か忘れてました。
きっと、インタビューではなくペンを持って書いた文章はガツンとくるのでしょう。きっと歯ごたえがあるのでしょう。
いえ、平易に語れるということは書かれる文章も平易なものかもしれません。堅い表現で書かれていても、染み渡ってくる文章かもしれません。じゃあ、すぐに読んでみようかとは思いませんが、機会があれば読んでみようかと思います。
そんな中でも印象に残った言葉。
(文学は)自分にとっての慰め
戦争自体は凶悪であっても、その中で暮らす一般の市民や庶民は、正しい倫理を守っている。
(でも行き過ぎはだめと戒めている。)
戦争中は、(中略)いまと比べれば、はるかに健康的な人が多かったのです。
もっと立派な言葉もあるのでしょうが、とらえどころが無くて書き抜きにくいのです。
色んな書評を見てみますと、結構絶賛されています。書かれている思想はなるほどと頷くばかりですが、読み物としての歯ごたえとしては物足りないと思うのです。
なんていうと、しっかり噛んで味わえと言われそうですね。
しっかり噛んで味わうというとスルメを比喩に使いたくなりますが、歯ごたえがありません。
お米に例えようと思いましたが、腹にたまった感じがありません。
ここは水かなと思います。
すっと身体の中に入り、浸透していきあとは残らない。一口に水といっても硬水、軟水と種類があり、味も違います。私は Evian が嫌いで、Volvic が一番好きで、後はどうでもいいかな。
というわけで、『真贋』は水ですね。大事な水です。命の支えです。水がなければそもそも生命も生まれない。そこら中にあるようでない。ないようである。水ですよ。とそこまで大げさとは思いませんが。
寝起きの一杯、と言われます。朝から小むづかしい本を読む気にはなれませんが、一日いっぱいは飲みたいところです。
最後にひとつ。
吉本隆明は親鸞が好きなようです。親鸞の小説を読んだばかりですので、吉本隆明の書いた親鸞の本でもいずれ読んでみましょうか。