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【本】本数珠つなぎ9冊目『二・二六事件』

 

本数珠つなぎ9冊目は、


二・二六事件平塚柾緒 著(河出文庫

 

二・二六事件 (河出文庫)

『日本のいちばん長い日』の次は二・二六事件
『日本のいちばん長い日』は太平洋戦争を終わらせた日の記録でした。

 

mono93.hatenablog.com

 

では太平洋戦争に突き進む政治的下地となったといわれる二・二六事件では何が起こっていたのでしょう? 戦争を終わらせた鈴木貫太郎二・二六事件にも名前が出てきます。彼は二・二六事件で何をしていたのでしょう?

二・二六事件陸軍若手将校のクーデターでした。終戦の日にも陸軍若手将校のクーデターがありましたが、動機は違います。どちらも天皇陛下を祭り上げて入るものの、動機、目的が違います。
終戦の日のクーデターは戦争を続けるためのクーデターでした。日本という国体を守る為でもあったのですが、陸軍の面子、軍人の意地でありました。終戦は今までの軍人としての自分を否定するものであり、敗戦ではなく終戦は己が己に負けるものであったのです。国体を守ることが目的ではあったでしょう。でも、軍人の意地も見え隠れします。
二・二六事件は飢えた国民を救うためでした。世界恐慌、飢饉による飢餓から労働者、農民を救いたい、その為には政治を変えねばならぬ、腐敗した政治家を討伐し、国民を救うための政府を樹立するのだ、昭和維新だ、というのか二・二六事件の思想でした。
『日本のいちばん長い日』を読むとクーデターを起こした軍人達に少し同情しましたが、二・二六事件の背景を知ると、終戦の日のクーデターは私情に見えてきます。やはり物事は知らないといけませんね。

『日本のいちばん長い日』と『二・二六事件』で印象が変わったといえば昭和天皇です。終戦を望み、反対する軍人がいれば直に話をして説得するとまで言った昭和天皇ですが、二・二六事件のクーデターには厳しく接しています。クーデターは反逆だ、即時鎮圧を命ぜられたといいます。確かにそうでしょう。甘く接すれば同じことがまた起こります。そこまではいいでしょう。問題は事後処理です。反逆者を厳格に裁けと命じます。まあ、そこもいいでしょう。反逆者の言い分を聞き、裁判をいたずらに長引かせるのは次なるクーデターを生むとして、断固たる態度で早急に判決を下せというのです。しかし、厳格かつ早急に裁けと命じたことが暗黒裁判をうみます。
天皇の意思を受け、二・二六事件の裁判は暗黒裁判となります。判決は有罪ありき、行動だけを裁き、動機は聞かない。裁判というより尋問だったそうです。クーデター主犯者たちは、私欲でクーデターを起こしたのではない、国民のために奸賊を成敗し、国民の貧困を救うために新政府を樹立したかった、その思いだけは伝えたかったのですが、クーデターの動機を語る場は与えられないまま、極刑が下されたのです。
昭和天皇が暗黒裁判を望んだのかは分かりませんが、天皇の言葉が暗黒裁判として実行されたのは事実です。
クーデターと向き合おうとした終戦の日昭和天皇。クーデターを反逆と決めつけ断固たる態度で挑んだ昭和天皇。状況が違ったのでしょうが、乖離を感じます。

 

さて、クーデターで襲われた閣僚の中に鈴木貫太郎がいました。終戦に尽力した総理ですが、二・二六事件当時は侍従長でした。彼は銃撃を受け倒れます。しかし彼は一命を取り留めます。鈴木夫人の一言で命拾いしたのです。
鈴木貫太郎は瀕死の状態でした。襲撃者がとどめをさそうとしたとき、傍らに座っていた鈴木婦人が静かに言いました。

 

「もうよろしいのではないですか」

 

夫人の一言に襲撃者はとどめをささずに立ち去ります。そして鈴木貫太郎は一命を取り留めました。夫人の一言が夫を救い、太平洋戦争を終わらせた首相を救ったのです。もし、このとき鈴木貫太郎がとどめをさされていれば、終戦はなかったかもしれません。

 

『日本のいちばん長い日』終戦の日を知りました。二・二六事件で戦争へ突き進む軍部を生んだ日の出来事をを知りました。であるならば戦争を始めた日には何があったのでしょう?
ということで、本数珠つなぎ10冊目は『十二月八日と八月十五日』半藤一利著(文春文庫)です。