週末は晴れ

自転車でスケッチしながら北海道を一周するのが夢

『親鸞』五木寛之著(講談社)読了

就職して営業一筋三〇年。未だに営業は嫌です。自分には向いていないと思います。
二〇年程前は店頭販売もやりました。自社の製品をお客さんに説明して買ってもらいます。

兵庫県のベットタウンのお店で店頭販売をした時のことです。おばあさんが孫に頼まれたと他社の商品を買いに来ました。仕事なので自社製品を勧めました。おばあさんは自社製品を買う気になりました。
その時、ふと思ったのです。もし自社製品を買って帰ると、おばあさんは孫から怒られるんだろうなと。
結局、自社製品を売らず、他社製品を売りました。
営業って嫌だとつくづく思いました。
辞めたくなりました。


  

 

五木寛之の『親鸞』を読んだ。コメディアンの大竹まことが面白いとポッドキャストで勧めていた。同じ番組で女芸人の光浦靖子は漫画の『ワンピース』を勧めていた。どっちが面白いか論争になり、ゲストの書評家が両者のオススメの本を読み、どちらが面白いか勝負しようということになった。

 翌週、結果が出た。引き分け。つまり、『ワンピース』と同じぐらい『親鸞』は面白いということだ。
そのポッドキャストを聞いて、いつかは『親鸞』を読もうと思い、ようやく『親鸞』の第一部を読んだ。

親鸞』というからには説教臭い文学かと思ったら、エンターテイメントだった。アクションあり、恋愛あり、陰謀あり。一級の娯楽作品だ。フィクションの世界である。なんといってもダース・ベイダーもどきが出てくる。面白くないはずがない。とはいえ、法然やら親鸞が出てくるので説教臭い部分もある。そこはさらりと読み流す。
下巻に入り、物語がクライマックスを迎えた時、親鸞の思考として商人の罪が出てきた。

商人といえば、品物をかついで各地を歩きまわる行商人がおおい。彼らは都の見栄えのする品物を、言葉たくみに地方の人びとに売る。品物の由来や品質のついて、口からでまかせの弁舌で、高く売りつけるのが腕のいい商人だ。その仕事には、嘘をついているという意識はない。しかし心の底では、なにか罪ぶかい事をしているといううしろめたさが、どこかにつきまとう。
親鸞 下』五木寛之著(講談社)より

 

これって、おばあさんに接客した時の罪悪感そのままである。営業って嫌だ。
営業をずっとやっていて、究極の営業は怪しげな宗教団体の壺だと思う。
あんた、死相が出てるよ、カラダの調子悪いでしょ、もうすぐ死ぬよ、医者じゃ治んないよ、だって、ガンだもの、でもさ、この壺買ったら大丈夫、ガンなんて治っちまうよ、実はさ、俺もガンだったけど、この壺で治ったんだよね。
お客の不安を極端にまで煽り、解決策として商品を売る。突き詰めれば営業はそういうものだ。
そう、お客さんの不安が捏造であり、解決策が嘘だったら商いではなく詐欺だ。
でも、本当だったら商いである。

兵庫県西の方のお店で、他社の商品を買ったお客さんが使い方を教えてくれといわれたことがある。老夫婦だった。面倒なので私は違う会社の営業だからとやんわり断った。でも、すがるような目で見てくる。田舎の両親を思い出した。簡単に説明してあげようと思った。他社製品の使い方を説明しているうちに、いつの間にか熱心に説明していた。説明が終わった時、そのお客さんは買った商品をキャンセルして、私の会社の製品を買うと言い出した。さすがに驚いた。
奈良の盆地のお店では、一度接客したお客さんが一年後に指名してくれたことがある。一年前に丁寧に接客してくれて、買った商品が良かったから、もう一度貴方から買いたいと言ってくれた。営業っていいなと思った。

阪神淡路大震災の時、私は震度7の中にいた。地震がおさまり、マンションの住人がパジャマにコートを羽織ってぞろぞろ外に出てきた。ちょっと落ち着いた頃、二人の女性が病院が気になるので行ってきますと、パジャマ姿のままスクーターにまたがって走っていった。二人は看護婦だった。二人はそのまま戻ってこなかった。
私はマンションに残り、翌日、被災地から大阪の親戚の家に避難した。二人の看護婦は被災地の中で寝る間もなく働いているだろう、それにひきかえ……。罪悪感を感じた。
一週間ほどして、私も仕事に復帰した。仕事場は被災地に隣接しており、早くも仮設住宅の建築が始まっていた。
私は被災者のために何ができるのだろう。役立たずだと悩んだ。
取引先に行ったとき、店長が興奮気味に言った。
「物資が日本海経由で来る」
被災地の神戸を横切らずに、日本海を迂回して、日用品が運ばれてくるというのだ。被災者の多くが日用品を失っていた。震災から二週間ほど立ち、生活の再建が始まっていた。しかし、被災地に分断された物流が機能せず、物資不足に陥っていた。そんな中、日本海を迂回して、山を超えて物資が運ばれてくる。
店長の言葉に私にもできることがあると気がついた。物資を被災者に届けるのが営業の仕事だ。必要なものを必要としている人に届けるのが商いなのだ。

お客さんが本当に困っていることを本当に解決してあげることができれば、それは罪ではないのである。
商いというのは、誠実であれば罪ではないのだ。
そう思い未だに営業を続けている。