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【本】本数珠つなぎ 8冊目『日本のいちばん長い日』

 

本数珠つなぎ8冊目は
『日本のいちばん長い日』半藤一利著(文春文庫)
です。


7冊目は史上最大の作戦でした。原題は『The longest day』。独の名将ロンメルが、連合軍上陸の日が双方にとって一番長い日になるだろうと語ったといいます。その日がノルマンディー上陸作戦、D-Dayでした。原題はロンメルの言葉からとったものです。

 

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では日本の一番長い日にはなにがあったのだろうかと『日本でいちばん長い日』を読むことにしました。

日本の一番長い日は1945年8月15日、日本降伏の玉音放送があった日です。現人神の天皇陛下が戦争を終結すると国民に伝えた日です。初めて天皇が国民の直接語りかけた歴史的な日でもありました。
8月15日は終戦記念日となっていますが、終戦の日をいつとするのか諸説あるようです。日本国民が長く辛い戦争が終わったと知ったのが8月15日ですから、終戦記念日は8月15日でよかろうと思います。
ちなみに他の説とは、ポツダム宣言を受託した8月14日、降伏文書(休戦協定)に署名した9月2日、サンフランシスコ平和条約で戦争終結となった1952年4月28日です。

さて、日本の一番長い日は終戦の日天皇陛下玉音放送で戦争終結を国民に伝えた日です。
玉音放送は8月15日正午に始まりました。『日本のいちばん長い日』はその24時間前に始まったのです。
玉音放送のことはちょっとだけ知っています。「耐え難きを耐え、忍び難きを耐え……」のノイズだらけのラジオの音声と、夏の校庭で気を付けの姿勢で聞き入る子供たちの写真、泣き崩れてしゃがみ込むモンペ姿の主婦の写真。知っているのはそれだけです。玉音放送までにクーデター未遂があったことは知りませでしたし、戦争継続、玉砕まで危機一髪の瞬間が何度かあったとは驚きです。なんとポツダム宣言拒否の偽情報を陸軍の強硬派が新聞社に流し、危うく再宣戦布告の事態になりかねなかったのです。締切直前に新聞記者がおかしいと再確認し、危機を逃れたというのです。
もしあのまま戦闘を続けていたら、原爆が大阪や東京に落とされていたかもしれません。さらにソ連軍が侵攻してきて、日本は武力的に上陸され、米ソに侵略されたのでしょう。そして朝鮮半島のように日本列島も南北に分断されていたかもしれないのです。

こうした状況を冷静に考えることができず、クーデターを実行した軍人がいたことは、その動機が純粋で真っ直ぐであるだけに悲劇でありました。間違っているとは思いますが、何だか痛々しいのです。軍人の意地でしかないのかもしれません。でも、意地だと一言で済ませていいものだろうかとも思います。

やはりみんな戦争にうんざりしていたのでしょう、同調する者が少なく、クーデターは失敗に終わります。終戦天皇の意思でもありました。上に立つ者ほど、終戦に尽力したのです。
そう、終戦です。敗戦ではありません。敗戦は結果です。そこに敗れた者の意思はありません。終戦には意志があります。戦争を終わらせようという意思です。
終戦記念日ではなく敗戦記念日だろうという人がいます。誤魔化すなと。同感でした。そう思っていました。でも、『日本のいちばん長い日』を読んで、これは終戦だと考え直しました。天皇だけの意思ではなく、閣僚の意思で戦争を終わらせようと活動したのです。その背景には、原爆投下や物資の不足などもありましたが、空襲で焼かれていく国民の悲しみと苦しみを知ったが故の閣僚達の働きだったのです。
負けは負けです。敗戦が見えたから降参したのです。でも、天皇、閣僚は戦争を終わらせるために動いたのです。負けるために動いたのではありません。彼らの意思を思うと8月15日は終戦記念日で良いと思うのです。

終戦に向けて二人の政治家がそれぞれの働きをします。鈴木貫太郎総理、阿南惟幾陸相
鈴木総理は戦争を終わらせるために総理になったとしか思えません。阿南陸相は陸軍トップの立場を超え、戦争をきれいに、つまり国内を混乱させずに終わらせるために尽力しました。
阿南陸相の腹の中は分かりません。継戦派だったのか、本音は終戦派だったのか。阿南陸相には終戦工作を止める切り札を持っていました。その切り札を使うことなく阿南陸相は聖断に従いました。そして玉音放送を聞くことなく自害しました。

これまで終戦のことは知ろうとしてきませんでした。日本人ですので悔しいのです。戦争責任とか難しことがわからず、また語られていなかった時代の子供心にそう思っていました。
色々知ってからはアホな戦争をしたものだ、と思います。でもそれは結果であって、当時は戦争への流れを止めるのは難しかったのでしょう。今の北朝鮮を見ているとそう思います。
でもやはり日本人ですので負けたというのはなんか悔しい。かと言って勝った方がよかっとも思いません。負けたこと、いや、戦わざるを得なくなるところまで進んでしまったことが悲しいのです。
そんな気持ちが子供の頃にあり、そのまま終戦のことを知らぬようにしてきたと思います。

玉音放送までの一日を知りました。日本が破滅の危機を乗り越えた一日でした。

知っているようで知らない、知らないようにしていた太平洋戦争のことに二・二六事件があります。日本のいちばん長い日の登場人物にはこの二・二六事件に関わった人物が出てきます。二・二六事件とはどんな事件だったのでしょう。
ということで、本数珠つなぎ9冊目は二・二六事件平塚柾緒著(河出文庫です。