【本】本数珠つなぎ10冊目『十二月八日と八月十五日』
『二・二六事件』に続いて、本数珠つなぎの10冊目は『十二月八日と八月十五日』。
『十二月八日と八月十五日』半藤一利著(文春文庫)
二・二六事件は太平洋戦争に突入する陸軍の暴走の始まりといわれます。では実際に戦争が始まった日にはなにがあったのでしょう。ということで『十二月八日と八月十五日』を読んでみました。
が、選んだ本が失敗でした。決して『十二月八日と八月十五日』が愚作といのではありません。同じ著者の『日本でいちばん長い日』に比べると見劣りしますが労作です。まあ、使い回しで申し訳ないと、著者自身が前書きとあと書きで繰り返し言い訳していますので、物足りなさはあります。でも、失敗したというのは本の出来の話ではなくて、私の目的に合致していないところにあります。
私は『日本でいちばん長い日』や『二・二六事件』のように、終戦に至る経過、二・二六事件の顛末といったように、開戦に至るまで何があったのかを知りたかったのです。で、タイトル『十二月八日と八月十五日』とその薄さに惹かれて読んでみたのですが、私の求めているものとは異なりました。この本を読んでも、その日何が起こったのか詳しく知ることはできません。戦争が始まった日と終わった日の日本人が何を感じ、何を考え、何をしたのかのかがわかるだけです。わかるだけと言っても、天皇から中学生まで幅広い日本人の記録が集められており、価値ある記録だと思います。
果たして天皇は開戦に積極的だったのか、軍人は闘志をむき出しにしたのか、国民は開戦に悲観したのか、歓喜したのか。そして日本は、日本人は開戦にあたり何を考えたのか、この本では結論は出ません。というか出せないでしょう。百人十色ですから。
というわけで、戦争論はおいといて、気になったことを書き抜き、メモしときます。
■ 十二月八日
開放感、爽快感。
開戦によりABCD包囲網から開放される。
日中戦争と違って後ろめたさがない。
「日本という国家はなりふりかまわず、ただ今日を生きるために、明日のことを考えずに戦争を選択し遮二無二突入していったのである。」
鈴木貫太郎枢密院副議長 元海軍大将の言葉
「これで、この戦争に勝っても負けても、日本は三等国に成り下がる。なんということか。」
この鈴木貫太郎は戦争を終わらせるために尽力した政治家です。
雑賀忠義教授の行動
鬼のあだ名で畏怖された旧制広島高校の英語の教授は開戦を知り、廊下に飛び出して万歳を叫んだ。
この教授は「戦後広島の原爆慰霊碑の『安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから』の文案考案者」です。
山本五十六海軍大将の考え
1年か一年半で決着を付けるべき。
つまり、日本は二年もたないと考えていた。
東條首相夫人勝子の友人へのつぶやき
「やっと陛下が御璽を下さったので、主人は腹を切らずに済みました。」
山本周五郎の日記
「午前十一時、米、英に対し、宣戦布告の大詔下る、海軍は午前三時、大編隊機を以てホノルルを空襲、グァム、ウェーク、香港、シンガポール、攻撃、ハワイには陸軍輸送大船団を発駐す。上海に於いて、英艦一を撃沈、米艦一降伏、ラジオ刻々ニュースを報ず。/統火管制に入る、月明」
■ 八月十五日
玉音放送の30分前に、スタジオの警備に来ていた将校が放送を阻止しようと軍刀を抜いて暴れた。
黙々と
落涙
しばらくして不安
戦わなくて良くなった、戦争が終わった。
といった感じで、開戦、終戦ともに日本人は、総じて静かにむかえたようです。ただ、その裏にある感情はそれぞれ。立場や思想によって異なっています。
もし私がその日その時の人だったら、何を考えていたでしょう。小市民で臆病者ですから、平静を装い周りの反応に合わせ、夜、布団を被って泣いたかも知れません。泣く理由は十二月八日の夜と八月十五日の夜では違いますが。
ともあれ、日本人、日本ではなく日本人は静かに開戦と終戦を迎えました。小さな騒動はありましたが、暴動が起こるとか、歓喜で街頭を行進するとか、そういうことはしなかったようです。
この静けさ、阪神・淡路大震災の朝を想起させます。
あの朝、私は芦屋で迎えました。高速道路が倒壊した国道沿いの古いマンションに住んでいました。あの朝の静けさを思い出します。夜が明け、何事があったのだと、息子と自転車で街の様子を見て回る父親、駅のホームで電車が来るのを待つサラリーマン。あんた、線路曲がってるでしょ。芦屋川の橋の上で頭から血を流す老婆に、「どうしたらええんやろか」と話しかけられたこと。
地震のことを書き出すと長くなるのでこのあたりで。
さて、本数珠つなぎの11冊目は『無私の日本人』。
『十二月八日と八月十五日』の中に「日本」ではなく「日本人」という言葉がよく出てきます。国体ではなく、個々の日本人のことを意識しているのでしょうか。特に検証したわけではなく、ただ思い浮かんだだけですが、終戦により日本国民は日本ではなく日本人であることを意識し出したのでしょうか。国民は終戦後の日本がどうなるか危惧するとともに、日本人はきっと乗り切るみたいな漠然と信じていたように思えます。であるが故に騒がなかったのか。
とまあ、震災でも静かに行動した日本人ってなんだろうと思って本を閉じた時に、巻末の既刊本の広告の『無私の日本人』というタイトルが目に入りました。これもまた知りたい日本人とは違う日本人の話のようですが、日本人つながりで『無私の日本人』が11冊目です。