週末は晴れ

自転車でスケッチしながら北海道を一周するのが夢

【本】【自転車】『こぐこぐ自転車』 ですよね


伊藤 礼氏の自転車エッセイのタイトルには、「ぐるぐる」「ぎこぎこ」と擬態語が使われています。あとがきを読みますと、その始まりがどうやらこの『こぐこぐ自転車』のようです。

『こぐこぐ自転車』伊藤 礼著(平凡社ライブラリー

この「こぐこぐ」は「こぐこぐ」と軽く続けて読むのでしょうか。それとも、「こぐ こぐ」と一拍おいて読むのでしょうか。
「ぐるぐる」は続けて読むと軽い感じでポタリング的。一拍おくと振り回されている感じ。「ぎこぎこ」は続けるとちょっと楽しげです。一拍おいちゃうとなんか苦しげです。チェーンの油切れみたいです。どちらも続けて読んだ方が自転車の楽しみが伝わってきます。
ですので、「こぐこぐ」と続けて読んだほうが軽快な感じでよさ気です。でも、あえてここは「こぐ こぐ」と一拍おいて読みたい。自転車を漕いでいる感があります。ロードバイクに乗って知りましたが、軽快に走っているときはペダルを踏みません。漕がないのです。くるくる回るのです。「漕ぐ」ときは発進のときと上り坂、そして無理して早く走っているときです。無理して力んでいるときに「こぐこぐ」と軽快さはありません。「こぐ こぐ」となります。一拍おくと足を踏み込んでいる感がありますね。
『こぐこぐ自転車』には坂道を上る話が多々あります。やはり「こぐ こぐ」という感じです。

こんなことどうでもいいですね。

伊藤 礼氏の自転車エッセイが好きで、立て続けに3冊読みました。相変わらず危なっかしいじいさん(失礼)で、補給食なしに走るので空腹のまま何時間も山の中や北海道の道を走ります。東京の方なので、コンビニなんてどこにでもある、と思われているようですね。田舎には少ないけど、ここまでないものなのか? という感じです。
その感覚はよくわかります。私は都内しか乗りませんので、補給食のことはさほど神経質になりません。通称荒川サイクリングロードをストイックに走ろうと思うときだけ、例のミニ羊羹を持っていきます。
氏はよく転んで骨折をしているようですし、真夏に走り、宿泊先のホテルで心臓の鼓動が激しくなるなど、結構命がけです。
そんな危なっかしい伊藤氏の自転車エッセイは、他の自転車エッセイと違って素人感ぷんぷんで親近感があるんですね。本音で書かれていますし。古希を越えて怖いものがないのでしょうね。

さて、今回のこの『こぐこぐ自転車』でも共感するところがたくさんありました。ちょと書き抜いておきましょう。

「これだけ研究し、買おうか買うまいかと迷ったというのは、結局は買ってしまうという運命を指し示していた。」

ですよね。ホイール交換を決心したとき同じことを考えました。どうせ買うんだから、早く買って長く楽しんだほうがいいんじゃないかと。

「だが思い切って買ってしまうともう値段のことは忘れてしまう。買っておいてよかった。」

ですよね。ホイールの値段なんてもう忘れていて、そもそも換えたことも忘れています。で、全然後悔していません。

「ここでは、なぜか私のようにどこかを目ざして走っていますというような、ママチャリ離れした自転車乗りと鉢合わせすることがある。たいていお互い何も言わない。何も言わないが、見ないふりをしてちらりと相手の自転車を観察する。そして、『ふん』と思う。」

負けたと思っても、勝ったと思っても「ふん」ですよね。

「自転車の解体とか組み立てというのはそう面倒な作業ではないが、中腰になってやるのでこたえる。十五分ぐらいかかって、さあ出来上がりましたと立ち上がる瞬間が問題だ。腰がぎくぎくぎくと伸びてゆく。こんなに腰に負担がかかるのだから将来とも自転車屋にはなれないな、とその都度思う。そのあと、べつに自転車屋になる気なんかなかったことに気づき、余計なことを考えて損したな、と思う。」

自転車のメンテをした後、「自転車屋にはなれんわ」と全く同じことを思います。

「なにか自転車雑誌で『一日二百キロ走って男になろう』という惹句を見てなるほどそういうこともあるのかと感心したことがあったが、そうまでして男になる気は無いので、折角のチャンスであったが昨日の距離は五十三キロだったし、今日の予定も同じようなものだった。」

百キロでじゅうぶんですよ。
映画『ブレードランナーの屋台の爺さんの気分です。そこまで気合入っていませんし。それこそ、そこまで気合の入った男を見ると(女でも)、「ふん」です。

 

「自転車に乗り始めると、ひとはなぜ北海道を目指すのか。それははるばる来たなという最果て感を味わうためである。」

ですよね。目指しますよ、北海道。

だから折りたたみ自転車がほしい。